確かにそうですね...

しかし、不思議なことに、私たちの社会では、「金のない人々」は「金があればすべての問題は解決される」と信じており、「金がある人々」はそう思っていない。そして、その事実を指摘すると、ほとんどの人は「金がある人は『金があるせいですべての問題が解決されていること』に無自覚であるにすぎない」と勝ち誇ったように回答する。
一度「金の全能イデオロギー」を採用すれば、そのイデオロギーに対する否定的言明の存在そのものが「金の全能イデオロギー」の正しさを立証するように「金の全能イデオロギー」は構造化されている。
どこかで見た覚えのある社会理論である。
いい加減に学習すればよいと思うのだが、なかなか人間たちは全能感の誘惑に抗しきれないのである。
社会格差の意味を「金の多寡」であるとみなす人々は年収の増大に直接かかわりのない人間的資質の開発には資源を投じない。
彼らが採用した論理そのものがそのことを禁じるからである。
その結果、彼らは社会下層に釘付けにされる。

とっても忙しい週末 - 内田樹の研究室

タイにいると「よく見かけるパターン」ですね。
特に最近は「金がなくても幸せ」という雰囲気はなくなっているような気がします。
カミさんの田舎ではほとんどの女性が「外国人と結婚すれば一発でお金持ち!」の発想で「人間的資質の開発」に資源を投じず「見た目の開発」に資源を投じているようです(苦笑)
...「『見た目』で伴侶を選ぶ人間」ほど「レベルの低い人間」で後で苦労すると思うのですが...(苦笑)