教育に関する悪循環?

Tpong師匠のブログで「教師の資質」という話が出ていました。そのときに「今の教育全体がおかしくなっているのでは?」と感じてしまいました。


10年ちょっと前に出身大学に行ったときに、そこで講師になっていた一学年下の後輩から「新入生の質が落ちている。昔は入学前に持っているはずの専門分野への基礎知識を持っていないので、入学後に補習を行わなければいけなくなっている」という話をしていたのを思い出しました。
私が「なんとか」卒業してからそれまでの間に大学は大規模になり、入学する学生数が約4倍に増えました。そのためか学生のタイプが「良くも悪くも偏った集団」から「かなり一般的な学生たち」に変わってきたこともあるのかと思います。
大学の定員を増やしたのは「高レベルの教育を多くの人に」というのが本来の目的だと思いますが、現実には「単に中学・高校程度の教育を間延びさせただけ」になっているのかもしれません。


それから10年以上経った今の感触は「大学は企業に入るための前段階」「高校は大学に入るための前段階」「中学は高校に入るための前段階」「小学校は中学に入るための前段階」「幼稚園は小学校に入るための前段階」になってしまっているのでは...?と思います。
そのために「幼稚園では小学校に入るための学習だけ」「小学校では中学に入るための学習だけ」「中学では高校に入るための学習だけ」「高校は大学に入るための学習だけ」「大学では就職活動のためだけ」という方向に無意識のうちに向かっているのかもしれません。


もし、子供を私立高校・私立大学に入れる場合、単純な学費だけでも500万円以上で塾などの関連費用を考えると1000万円くらいかかるのでは...?となり、親にとってはそれだけでもかなりの負担になるはずです。また、学校法人に対して税金を元にした補助があり、そういう間接負担を含めるとかなりの負担になるのかと思います。


もし、大学の数を減らし「大学は本当に行きたい人のため」「大学に来たい人のため、社会人コースも用意する」に徹しさせ、企業が「一般職は高卒で」「幹部養成のためだけに入社後にでも大学に行けるようにする」と割り切ってしまえば、社会コストの低減によって企業に対しても「人件費コスト」の低減により雇用に余裕が発生し、購買力が向上するのでは...と思います。


でも、このような「パラダイムシフト」は「高速で動いている歯車群を一瞬のうちに逆回転させる」くらい難しくエネルギーが必要なものになると思いますので、期待しませんが(苦笑)
ウチの子供たちには「最低限生きる力」を小学校のうちにつけさせたいと思います(爆)