この記事で...

銭衝さんが

  社会人クラスには様々な業種の様々な人生経験をされてきた方がいて、私と同様、授業の準備にかなり時間をかけるタイプの同僚は、かつて年配の生徒さんにこんなことを言われたそうです。

健康を害さず、長く仕事を続けていけるのもプロの条件ですよ。

  う〜ん、限られた教材でも、それなりに効果が上がるような教え方を展開できるのがプロということでしょうか。「ワタシ的に納得がいかない」などと若造のようなことを言って無制限に「凝りに凝った教材」を追求していたら、そりゃ時間もかかろうし健康も害そうというものです。

ということを書かれていますが、そのコメント欄にid:toraneko285さんが

大学の授業について思うことなんですが、今の教科書はどれを見ても親切すぎます。
この時期、あちこちの出版社から教科書見本が送られてくるんですが、学生に自分で調べたり考たりする余地を全く与えないくらい解説をつけたり訳文をつけたりしていて使う気になりません。
いちばん勉強になるのはピンインも解説も訳文も何もついてない文章や単なる音声だけを与えて、全て自分で音読できるようにしたりディクテーションしたりすることだと思います。で、先生は「ここが違う」って指摘するだけで何を教えず、完全にできるまで一人でやらせることですよね。
自分で自分を鍛えるとか、分からないことはとことん調べるという習慣をつけなければ通訳者になれないんじゃないかと思いますし。

とコメントされていました。
共感させられました。


約10年前にやっていた仕事で同僚から「誰にでもわかるようなトレーニング教材を作ってほしい」という依頼がありました。
仕事の内容が「使い方を教える」ではなく「相手の話を聞いて、それに対しての解決方法をご提示する」というものが主体だったので、「パターンにできない相手の話をどうやって理解するのか?」の部分が書類化することができませんでした。これが「取扱説明書」のようなものであれば、「とにかく説明し尽くせるだけ説明する」というアプローチができるのですけど(苦笑)
ちなみに、私の後継者になったローカルスタッフも独り立ちできるようになったあたりから「周りに冷たい」と評されるようになりました。これは「相手の話を聞いて、自分の中にイメージを作る」という作業プロセスを説明することができないことから発生しているのだろうな...と思っていました。
「相手の話を聞いて自分の中にできたイメージ」は簡単に説明できるのですが「なぜ、この相手の話がこのイメージになるのか?」を説明するとなると膨大な説明を行っても伝わらないと思います。それが万人に伝わるようであれば、「プロ」という概念は消えてしまうのかもしれませんが(爆)